猫の唄
ある山里に何十年ぶりかの大雪が降りました。山里はどこもかしこも一面重たい雪にのしかかられて、ぐうぐう音を出しておりました。そんな山里の小さな竹藪の隣に、小さな小屋で寂しく一人で暮らしている小さなおじいさんがいました。
おじいさんは昨夜からどういうわけか雪に合わせるように大風邪をひいてしまい、布団に臥せっておりました。あまりの高熱でおじいさんも本当にまいってしまい「いよいよこれでわしも終わりかのう」と熱にうなされる頭でボンヤリ考えていました。
おじいさんが風邪をこじらせて二日目の夜のことです。おじいさんの小屋には普段から別に特に可愛がっているわけでもないのに何となく住みついて残り物などを食べている一匹の黒い猫がいました。その猫がおじいさんの枕元にやってきってすわりました
「見ての通りじゃ 何にもないで お前もどこにでも出ていきな」とおじいさんは声にせず猫に語りました。
しばらく猫はそのまま座っておじいさんを見ていましたが、やがて信じられないことがおこりました。何とその黒猫がちいさな、ほんのちいさな声で唄を歌ったような気がしたのです。おじいさんはいよいよ最後になっておかしなものが見え出したと思いました。
しばらくそのままにしていましたが、やっぱり猫が歌っているように思えるのです。猫の口は前から見ると小さく見えますが実は横から見ると獣らしく大きく突き出ていて、牙も生えている訳ですからとても唄を歌えるような形にはなっていません。また声もニャーと鳴く声しか出せません。肺活量だってそれほどあるわけではないので一つの音を少しの長さしか出せません。
なのに確実に猫がちいさな声で頭を少し傾けて歌っているのです 。もちろん歌詞のようなものはありません。強いて言えばヌーニーナーというように聞こえます。そしてもっと驚くべきことはその旋律が信じられないくらい美しいということでした。
ほんとに小さな声ですが、朝日に照らされた冬の氷がキラキラしているようでもあり、春の野山の木々がいっせいに風に揺れるようでもあり、夏の夜空にきらめく星たちのささやきのようでもあり、秋の月夜に照らされた銀色のススキがゆれるようにも聞こえました。
おじいさんは覚悟を決めました。「これがわしの最後だということなんじゃな ありがたい最後じゃ」
数日経っておじいさんは奇跡的に病からだんだん快方に向かい始めました。そしてそれから何日かしてなんとか一命を取り留めることができました。それと響き合うように山里を覆っていた大雪ももっくりと溶け始め、春の様子を少しずつ見せ始めました。竹やぶにはスズメがピチピチ飛びまわり、椿の赤い花が咲いています。
おじいさんは命があったことを喜びました。本当に喜びました。猫はあの病の夜のことがなかったかのように普通におじいさんの周りにいます。しかしよく考えてみると、あの夜以来黒い猫は全く鳴かなくなっているようで、大きく口を開けて鳴こうとしても声が出ない様子でした。
しかしそれは本当のことではありませんでした。おじいさんは誰にも会わずに暮らしているせいで、なかなか気がつきませんでしたが、おじいさんは音を失っていました。
その事に気づいたおじいさんは最初は大きく悲しみました。春の小鳥の声も、夏の夜風の音も 、秋の虫達の合唱の音も、冬の木々が軋む音も、これで永遠に聞かれないと思うと悲しくて夜も眠れませんでした。悲しくて悲しくて、何のために命拾いをしたのか、わからなくなっていました。ちいさいおじいさんにとっては音は大変大切なものだったのです。
悲しみの中、日々が過ぎていきました。おじいさんはそんなある日、あの病の夜に聞いた猫の歌をどうしてももう一度聞きたくて、なんとか思い出せないものかと、頭をひねってみました。
最初はまるで何も思い出せないでいたのですが、何度も何度も思い出したくて繰り返しているうちにすこしずつあの夜に聞いた猫の歌声が思い出せるようになりました。そして最後にはそっくりそのまま頭の中で唄が鳴るようにまでになりました。耳が聞こえなくても音の記憶が呼び出せることを不思議に思いましたが、確実にできるのです。
そのことはおじいさんをたいそう勇気づけ、明るい気持ちにさせました。猫の唄は思い出すたびに、心が溶け出しそうになるほどうっとりしてしまう、それはそれは素敵な記憶の旋律です。
小さいおじいさんはあるよく晴れた日に春の野原に出かけました。ひばりが高い空で元気よく鳴いていましたが、おじいさんには何の音も聞こえていません。しかし春の風の音も、小川のせせらぎの音も、イモリが息をするために水面に上がってくる小さな音も、みんな覚えています。そしてそこにあの猫の唄を流すこともできます。
おじいさんは美しい春の一日を、日が暮れるまでボンヤリ、そしてうっとりと、古い切り株に座って黙って嬉しそうに眺めていました。
おわり