お葬式の魚
ある夏のお葬式に参列したときのお話です。
私はよく冷房の効いた斎場の中の椅子に腰をかけ、大勢の方と一緒に開式を待っていました。案内が厳かにアナウンスされ、今や葬儀が始まろうとしている時でした。
私はそろそろ始まるなと思い、ポケットから数珠を取り出そうとしました。
そのときにドラマは始まりました。ポケットに手を入れてみるとそこには、いつも触りなれた数珠の感触とはどこか違う、なにかいやな感触がありました。
それは少し冷たく、粘着質で、ネバネバしたものでした。
「あれ!」
私は一体何が起こったか瞬時には理解できませんでした。
「右のポケットになにか数珠ではない、良くないものが入っている!」
私はとても焦りました。
お葬式は今や始まろうとし、今から席を立ってトイレに立つのはとても非常識なように感じられる時間でした。
「一体このポケットには何が入っているのだろう、このネバネバしたものは何だろう?!」
「こんなネバネバしたものがポケットに入っているということは、どういう経緯なんだろう?!」
私は今や始まろうとしているお葬式の椅子の上で必死に考えました。
その感触は強いて言えば「魚」のような感じでした。大きさといい、ネバネバした濡れ具合といい、形状といい、ちょうど鮎くらいの生の魚がポケットに入っている様ないやな感じでした。
「しかし、礼服のポケットに魚が入るだろうか?」
「もし魚だとしたら、なにか宴会か何かで、酔っ払って料理の魚をポケットに入れてしまったんだろうか?」
でも料理してある魚にしては、このネバネバヌルヌルした感じはなんだ!
私は必死に考えました。そうこうしているうちにお葬式は始まってゆきました。
私の頭の中ではポケットの中に入っているのは完全に「魚」ということになっていました。
幸い左のポケットから数珠は出てきたので、ネバネバの右手にも関わらずなんとか体裁は保ち続けました。
「待てよ!もし魚だったら匂いがするはずだ!みんなが迷惑するはずの匂いが強烈にするはずだ!」
しかし幸いにも匂いはしてこない様子で、私の周りの人も特に匂いで困った様子はありませんでした。
「よし!このまま乗り切ろう!」そう思って、大変不安なまま、約1時間の葬儀を耐え抜きました。
途中ではネバネバの手をしたままお焼香にも立ちました。もらったおしぼりで気が付かれないように念入りに手を拭きました。
「あー私のポケットの中には生の魚がいる!!!」
悲劇的な思いのまま、なんとかお葬式は終わりました。ずっと私の心はうわのそらでした。
その間、またうっかりまたポケットにまた手を入れないように気をつけました。
葬儀場の雰囲気が落ち着いた頃を見計らって私はトイレに駆け込みました。そして洗面台の前に立って恐る恐るポケットの中身を取り出してみました。それはなんと冬の間にあったお葬式のときにポケットに入れたままにしていた、「のど飴」の5つほど入った封を開けた細長いアルミの袋でした。それが今の強烈な暑さのせいで中身の「のど飴」が溶け出してヌルヌルの状態になっていました。そういえば今年の寒い頃に喉が痛くてのど飴を買ったことを思い出しました。匂いはどちらかといえば良いくらいです。さわやかなミントに香りがしました。
私はホッとすると同時に妙に開放された気分で、不謹慎ですが晴れやかな気持ちで斎場を後にしました。ポケットのヌルヌルの「のど飴」は家に帰ってきれいに取り除けました。
誰一人気が付かなかった私のあるお葬式での、壮絶なドラマでございました。